65歳で老人ホームに入居したあるひとりの男性について

「65歳で老人ホームに入居」と聞くと、ほとんどの人が「ちょっと早すぎるんじゃない」と思うことでしょう。確かに65歳は入居者の平均年齢を大きく下回っていますが、その人数はゼロではないんです。私が勤務する老人ホームにも65歳の男性入居者が1名だけいます。

どのような事情があって、そのような生活をしているのでしょうか。今回は介護士の私が、その男性について紹介します。

老人ホームを年金のみで利用できるか検討

急展開で特別養護老人ホームでの採用が決まった

2年前、介護士の資格を持っているのに失業中だった私に、知人が連絡をしてきました。そして突然「今から面接を受けることはできる?」と言ってきたのです。聞くところによると近所の特別養護老人ホームに退職代行サービスを利用して急に出勤しなくなった介護士がいるようで、すぐに人員を補充したいそうなのです。

求人広告を出している時間的余裕もなく、早急に介護士を採用する必要性が生じ、私に白羽の矢が立ちました。慌てて履歴書を書いて面接に行くと、簡単な質疑応答があったのちに「じゃあ採用ね。明日から働ける?」と言われました。

あまりの急展開に戸惑いもありましたが、私はこの特別養護老人ホームで働くことを決意し、翌日から出勤しました。そして65歳の男性入居者と出会うことになったのです。

老人ホームに入居しなければならなくなった理由

「あなたは、本当に介護士か?」これは私が65歳の男性入居者と出会った初日に言われたひと言です。久しぶりに職場復帰した私は緊張していたこともあり、65歳の男性入居者を車椅子に乗せるときに服の裾を引っかけてしまいました。

男性入居者はこの要領の悪さにイライラを募らせ「本当に介護士か?」という批判をしたのです。もちろん「久しぶりに介護士の仕事をしているもので…」という言い訳は通用しません。65歳の男性入居者には、初日から悪い印象を与えてしまいました。

老人ホームの職員の話によるとこの男性入居者は、定年後に自宅でのんびり暮らしていたときに階段で転倒して、腰椎圧迫骨折になったそうです。救急車で病院に運ばれ入院することになったのですが、入院中にリハビリを積極的にやらなかったようで、医師からは「退院して自宅に戻ったとしても、これまでのような日常生活を送るのは難しい」と診断され、特別養護老人ホームに入居することになりました。

65歳でもちょっとした転倒がきっかけで生活が不自由になり、老人ホームに入居しなければならない事態になることを十分に理解しておいてください。

イベント参加時の様子

私が働く特別養護老人ホームでは、さまざまなイベントが行われます。春には近くの公園でお花見をしますし、夏には施設内でちょっとした夏祭りを開催するのです。そして秋には紅葉狩りに行き、冬にはクリスマスパーティーをやります。

老人ホームでの生活は何かと単調な部分が多いので、このような季節に合ったイベントを開催して、入居者に四季の変化を感じとってもらおうとするのです。また季節に合ったイベントの他にも、近隣の大型ショッピングモールへ買い物に行ったり、入居者の家族を招いてファミレスで食事をすることもあります。

ショッピングモールやファミレスには多目的トイレがしっかり完備されているので、車椅子生活をしている65歳の男性入居者もトイレを我慢することなくイベントを楽しめるのです。施設外で行われるイベントは介護士も当番制で同行します。

ファミレスで食事をするイベントでは、65歳の男性入居者が県外に住んでいる娘と会うことができるので、とても嬉しそうでした。ラーメンやパフェなども注文し、施設内にいるときとは比べものにならないほどの食欲を見せるのです。

愛する娘に会えたことの喜びが、食事の量にあらわれています。時折、口に入れたものをのどに詰まらせてむせ込むこともありますが、その辺はまだ65歳なので水を飲めばすぐに回復します。施設内にいるときとは全然違う男性入居者の様子を見ていると、愛する娘の存在は偉大だということを実感させられました。

私だけに見せた意外な一面

老人ホームのエントランスには大きめの自動ドアが設置されていますが、通常の自動ドアとはちょっと違ったシステムになっています。外から入ってくる場合はすぐに反応して開きますが、中からはいちいちロックを解除しないと開かないようになっているのです。

エントランスだけでなく非常階段のドアも、このようなシステムになっています。これは認知症の入居者が徘徊して施設外に出てしまうのを防ぐためです。ファミレスでの食事イベントが終わった日の夕方、65歳の男性入居者は車椅子に乗りながらエントランス付近をウロウロしていました。

明らかに外へ出たがっているようです。私が「こんなところで何をしているんですか?」と聞いても「別に何もしてないよ」と答えるだけで、本音を話してくれません。そのあと1時間経ってもエントランスでウロウロしていたので、私は思い切って「一体どこに行きたいんですか?」と質問しました。

すると恥ずかしそうに「ちょっとコンビニに行きたい」と答えたのです。日用品を買いたがっているのかと思い、私は施設長の許可をもらって65歳の男性入居者と一緒にコンビニへ行きました。するとその入居者は、日用品ではなくお酒を買おうとしたのです。

私は「ダメですよ」と言いましたが、男性入居者はこれまで見せたこともない表情で「お願いだ。どうか見逃してくれ」と懇願してきたのです。

脳がしっかりしているので、感受性は豊か

詳しく話を聞くと「昼間に娘と久しぶりに食事をしたことがあまりにも楽しくて、娘が帰ってしまった今は淋しくてしょうがない」と言っています。男性入居者はその淋しさをお酒で紛らわせようとしていたのです。私はファミレスでの幸せそうな様子を見ていただけに、お酒を買うことに対して目を瞑りました。

コンビニから老人ホームに戻ったあと、私はその男性入居者の部屋へ確認に行きました。すると娘の写真を眺めながら、涙を流してお酒を飲んでいたのです。その涙を流している姿は、出会った初日に「あなたは、本当に介護士か?」と言ってきた男性とは別人のように感じられました。

老人ホームで車椅子生活をしているといっても、まだ65歳なので脳は健在です。楽しさや淋しさに対する感受性は、高齢の入居者よりもはるかに豊かだと思います。

いつまでも若いと思っていてはいけません!

私が働く特別養護老人ホームにいる65歳の男性入居者とのエピソードを紹介しました。この男性はちょっと前まで会社員でそれなりにプライドがあり、そのプライドが病院でのリハビリの邪魔をしたのでしょう。これを読んだ65歳の方はいつまでも若いと思っていないで、このようなリスクと隣り合わせにいることを認識してください。

そして老人ホームを検討する事態になったら、ひとりで悩まずに地域包括支援センターに相談してください。

参考情報:ウチシルベ - 老人ホーム探し方